大判例

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大阪高等裁判所 平成元年(ネ)1008号 判決 1990年1月24日

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、三〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、当事者双方の主張を次のとおり付加するほか原判決事実摘示及び原当審証拠目録記載のとおりであることから、これらをここに引用する。

(控訴人)

本件擁壁は、その勾配角度や天端の厚みについて宅地造成等規制法施行令(以下「施行令」という。)の定める最低限度の技術水準も満たしておらず、しかも、水抜パイプの本数も右基準の半分しか存在しないので、極めて危険性の高い擁壁であるといわなければならない。本件擁壁を右施行令の定める技術水準に合致させるためには、本件擁壁全体を作り直す必要があり、そのための費用として二四〇ないし二五〇万円の費用が必要である。

(被控訴人)

控訴人の右主張は争う。本件土地は昭和四六年以前に造成され、本件売買契約が締結された同六一年九月五日までの一五年間にわたって何らの建築物も築造されず、また、地表には何らの排水設備も設けられないまま全面雨ざらしの状態で放置されてきたにもかかわらず、擁壁に生じた異常としては最大限検甲第八、第三一号証の写真にみられる程度の亀裂である。右の如き年数と条件のもとでかかる程度の亀裂が生じたことをもって、家屋築造後に擁壁が崩壊する危険性があると主張することは、純物理的議論であればともかく、取引通念に照らすと到底肯認し難い。

理由

一  控訴人が昭和六一年九月五日被控訴人から原判決別紙物件目録記載の本件土地を代金一七八六万六八〇〇円で買い受け、同日被控訴人に対し手付金として三〇〇万円を支払ったこと、本件土地はその西側及び南側の側面が高さ約二メートルのコンクリートブロック積みの擁壁(本件擁壁)となり隣地よりも高くなっていること、本件売買契約当時本件土地の南西角付近の擁壁の天端に二か所とブロック積みに亀裂が存在していたことは、当事者間に争いがない。

二  本件擁壁に崩壊の危険性があるか否か及び控訴人に錯誤があったか否かにつき検討する。

<証拠>に弁論の全趣旨を併せれば、次の事実が認められ、この認定に反する被控訴会社代表者稲田明雄の供述(一部)は前掲他の証拠に照らして採用することができず、他に左記の認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件土地は、昭和四六年頃訴外伊藤忠不動産株式会社によって宅地造成され分譲された土地のうちの一筆であり、本件擁壁はその頃構築されたものである。そして、本件土地は、昭和四六年一〇月に右訴外会社から訴外藤井正雄に分譲され、更に、同六一年二月に訴外藤井から被控訴人に売り渡された。ところで、本件土地は、昭和四六年に宅地として造成されて以来本件売買契約が締結された同六一年九月までの間、建物が建築されたことはなく空地のままであった。

2  控訴人が本件土地を買い受けたのは同土地上に建物を建築する目的であったところ、本件売買契約前に控訴人から被控訴人に対し「近所にある豚小屋から匂いが来るので値引きしてほしい」旨の話をしたこともあったので、被控訴人は、右売買契約当時控訴人が建物建築目的で本件土地を買い受けるものであることを十分に知っていた。なお、控訴人は会社員であるところ、被控訴人は建築工事、設計、施工及び宅地建物売買の斡旋等の業務を目的とする株式会社である。

3  控訴人は、昭和六一年九月五日に被控訴人に対し、手付金三〇〇万円を交付し、その翌日に売買契約書が作成されたが、その際、被控訴人は、控訴人に対し、「小さなヒビ割れが一か所あるがセメントを流せば直る」との旨を言い、控訴人は被控訴人の言うことを信用してその点を了解した。ところが、同月一六日、控訴人は、本件土地を見た妻の父(大工)から本件擁壁の割れ目について「崩れることがあるので危ない。こんなところには家は建てられない。専門の人に見てもらったらどうか。」との旨言われたのでショックを受け、同月一九日頃二級建築士の訴外山田勝紀(山田設計事務所の所長)に本件擁壁の調査を依頼した。訴外山田及び同事務所に勤務していた土木施工管理技士の訴外井沼修は、本件擁壁の調査をしたうえで同月二七日に調査報告書を作成して控訴人に渡した。同報告書には「本件擁壁の天端及びブロック積みに亀裂が生じている。擁壁内部の部分に長年の月日を経て地盤が軟弱化し擁壁下部に微妙なズレが生じた為と思われる。この原因は、水抜パイプの不足、勾配、裏込石の不足、ブロックの目地を完全に塞いでいない点があげられる。本件擁壁が今すぐ崩壊すると思われないが、安全性を重視し、裏込石を充填し、水抜パイプの本数を現在よりも増し、ブロックの目地を塞ぐ是正工事が必要と思われる。」旨記載されている。

4  施行令第一〇条によれば、擁壁の壁面の面積三平方メートル以内ごとに少なくとも一個の内径が七・五センチメートル以上の陶管その他これに類する耐水材料を用いた水抜パイプを設けなければならず、この基準によれば、本件擁壁の南側の擁壁(高さ二・二メートル、長さ七・〇九メートル、面積一五・五九八平方メートル)には最低五本、西側の擁壁(高さ一・二五メートル、長さ一八・一〇メートル、面積二二・六二五平方メートル)には最低七本の水抜パイプがそれぞれ必要であるところ、本件売買契約当時南側擁壁には三本、西側擁壁には五本しか水抜パイプ(その内径は約五センチメートル)が設置されていなかった。また、施行令第八条によれば、擁壁の勾配角度は七五度までしか認められていないところ、本件擁壁の角度は八五度もあり、しかも、同条によれば土質が岩、岩屑、砂利等である場合には擁壁の天端の厚さは最低四〇センチメートル以上、その他の土質の場合には右天端の厚さは最低七〇センチメートル以上必要であるところ、本件擁壁の天端の厚さは三〇センチメートルしかない。

5  本件擁壁のうち南西角付近の擁壁の天端にある二か所の亀裂は相当大きな割れ目であり、その他にもヒビ割れ程度の亀裂が数か所ある。このような亀裂が生じた原因は、水抜パイプの不足などから土地の内部に水が溜り、地盤が軟弱化し、また、土の圧力が特定部分に集中していることによるものと考えられる(なお、裏込石が不足しているか否かは、本件擁壁付近の土を実際に全面的に深く掘って確認することはされていないので、本件証拠上明確にはわからない。)このような亀裂のある本件擁壁のままで建物を建築すると、すぐに右擁壁ないし建物が崩壊するという危険性まではないものの(長い将来にはその危険性がないとはいえない。)、建物の基礎が安定しないため建具の閉まりが悪くなったり、建物に傾きが生じるおそれはある。これを防ぐためには、本件擁壁を全く安全なものに作り直す必要があるが、そのためには少なくとも二四〇ないし二五〇万円の費用が必要である。また、本件擁壁を根本的に補修しないままで、本件土地上に安全な建物を建築するためには、相当深くまで建物の基礎を設けるか、杭を深くまで打ち込む必要があるが、そのためにはやはり相当の費用がかかるものといえる。

ところが、被控訴人は、本訴の提起後に本件擁壁の前記亀裂部分にセメントを流し込んで補修しているが、このような補修はあくまでも一時的かつ表面的なものにすぎず、安全性の点では到底十分なものとはいえない。

6  なお、本件売買契約書には「本物件は現状有姿のままの取引とする。」との条項があるが、被控訴人は、右契約前に控訴人を現地に案内したこともなく、前記亀裂のことを控訴人に詳しく説明して納得させたということもないし、このような亀裂があるために特に売却代金を安くしたということもない。控訴人としては、もし、本件売買契約前に前記のような亀裂の存在を明確に知り、安全な建物を建築するためには本件擁壁を根本的に補修する必要があり、さもないと本件擁壁ないし建物がいずれ崩壊する等の危険があり安全上問題があるということを了知していたならば、本件売買契約を締結しなかったものといえる。

以上認定の各事実に基づき検討するのに、本件擁壁には直ちに崩壊するとの危険性までは認められないものの、本件土地上に安全な建物を建築するためには本件擁壁を根本的に補修する必要があり、そうでないと建物に支障がでてくるおそれがあり、長い将来には崩壊の危険性もないとはいえないし、安全な状態で建物を建築するためには本件売買契約当時控訴人において予想しえなかった多額の費用を要するものであることが明らかである。そうとすれば、控訴人は、本件土地上にそのままでは安全に(特段の出捐をすることなく)建物を建てることができなかったのに、建てられるものと誤信していたものであり、売買の目的物の性状につき要素の錯誤に陥っていたものということができる。被控訴人は、動機の錯誤にすぎないと主張するが、動機の錯誤とはいえない(仮に、動機の錯誤であるとしても、前記認定の事実関係からすれば、その動機は表示されていたものということができるから、いずれにしても、被控訴人の主張は採るを得ない。また、右事実関係からすれば、錯誤に陥るにつき控訴人に重大な過失があったということはできない。)。

(ところで、前掲被控訴会社代表者稲田明雄の供述及び弁論の全趣旨によれば、右稲田明雄は、昭和六二年六月ころ本件土地上に自己所有の建物を建築していることが認められるが、同建物の基礎等につきいかなる安全策を具体的に取ったのか<なお、乙第六号証記載のA、Bの方法を実際に用いたか否かの証拠はない。>また、安全のためにどの程度の費用を出捐したのか否かは本件証拠上明らかではないし、将来本件擁壁が崩壊するおそれがないとか、建物に支障が出てくるおそれがないとの証拠もないので、現在本件土地上に右稲田の建物が現実に建築されて存在するからといってそれだけで前記の認定判断を左右することはできない。)

二  以上によれば、本件売買契約は、要素の錯誤により無効であるというべきであるから、被控訴人は、控訴人に対し、受領した手付金三〇〇万円及びこれに対する本件訴状が被控訴人に送達された日の翌日である昭和六一年一一月一四日(この点は本件記録上明らかである。)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるといわなければならない。

三  よって、控訴人の本訴請求は認容すべきものであり、これと異なる原判決を取り消すこととし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 中田昭孝 裁判官 若林 諒)

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